蘊蓄を語る人

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diary

蘊蓄を語る人というものがとても嫌いだった。

とても愚かに見えていた。

だってそんなに蘊蓄を詰めこんでも所詮人間の脳には限りがあるし、どんだけ頑張っても辞書には勝てない。

Googleなどで検索すれば、すぐに答えがでてくるのだから、そんなことを覚えている必要はない。

頭に蘊蓄だけを詰めこむのは人間の仕事ではない。

そう思っていた。

概して蘊蓄を語る人というものは、知識を吸収できておらず、自分なりの解釈がないように見えていた。

いろいろな物事を知ろうとして、その結果として物知りになったのではなく、その知識を得て威張れるから記憶しているように見えた。

だから威張れるタイプの蘊蓄が多い。

でも詰めこんでいるからこそ、出てくる発想というものもある訳で、発想と閃きこそが人間の真価を発揮すべき場所だと頑なに考えていたのは間違えである気がする。

知識や情報は素晴しいものだ。

それを伝えてきた人が、ちょっといけ好かないからと言って、遮断してしまうのはいかにも愚か。

蘊蓄を語る人は、情報の伝播の役割を担っているわけでやっぱり重要なのだ。

いけ好かないけど。