恥の文化の害悪

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diary

急にこんなタイトルが思い浮かんだから書いてみる。

日本は恥の文化といわれ必要以上に人の目を気にする。

僕はその日本人の中でもさらに恥というものに敏感な方だ。

顕著なのが自分の実力を把握されたくないという願望。

自分がこうなってほしいという自分より、一回り二回り以上も魅力がない人間なので、そんな自分を相手に知られてがっかりされたくない。

それで僕は自分を過小評価させようということに力を注ぐ。

自分を小さく見せておいて、「おっ!こいつ思っていたよりやるじゃん」と思わせるのが目的だ。

だけれど、それは恐ろしいほどにさもしいことで、これこそ人に知られたら死んでしまいたいほど恥ずかしいことだ。

人目を気にするというがそれは嘘で自分をだまして楽な方楽な方へ、流されているにすぎない。

自分ではない人に迷惑をかけて恥ずかしいという気持ちではなく、まさに自分がサボるために他人の心なんて僕にはわかるはずのないものを利用しているにすぎないんだ。

ちょっと努力してつらいことをすれば今より確実に素敵な自分になれるのに、その労苦を惜しんで駄目な自分のままこの年齢まできてしまった。 いい加減うんざりしてきたので、恥ずかしいという、使うだけで恥ずかしい言葉の概念を心から取り去りたい。

最近そういうふうに少し心がけているけれども、僕の周りの人がこいつは厚顔無恥な人間だと思っているのかどうか考えるだけで怖い。

自分の好きなことをするためにある程度人間関係を制限するのもありかと思っている。