家族旅行から見る、指導者たる資格とは

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travel diary

母、弟、僕とで大阪旅行に行ってきた。

ホテルの予約から電車の乗り換えまで、すべて僕がセッティングしなくてはならなくて、ちょっとしたプレッシャー。

今までは両親にまかせて、ただついて行けばよかったのが、僕の責任の元に、僕じゃない人の行動の結果も保証しなくてはならなくなった。

事前の準備をしっかりしておけばよかったのだが、多忙にまかせて中途半端にしか下調べができず、新幹線に飛び乗る。

大阪について、まず戸惑った。

乗り換え駅の名称はわかるのだが、乗り換えの連絡がわからない。

ホテルの住所はわかるのだが、駅のどっち方面出口からでて向ってどっちだという現実に即した情報をあまり仕入れられなかった。

まさに机上の空論。

しかしながら、見知らぬ土地だろうとずんどこ進んでいける性能を有していたので、9割方滞りなく、予定を消化できた。

きっと地元民から見てもおのぼりさんのようには見られなかっただろう。

ただ予定外の神戸散策を、母が持ち出してきてから歯車が狂い始める。

「おかあさん、神戸の南京街に行きたいんだけど。調べといてね」

おかあさま…前日の夜に言われても、不肖の子の僕は困惑するだけです。

神戸ってどうやっていくの?
中華街行きたいって言ってるけど、どこの駅で降りるのさ?

そんな不安を解消すべく、ホテルのロビーに設置してあるPCへと夜一人で向ったが、そこには中国人の集団が。

ソファで順番を待っていたのだが、30分たっても40分たっても彼らはどいてくれない。

異国の地で不安なのはわかるが、僕も同じくらい不安なのだよ。順番変ってくださいよ。

そんな僕の心の呟きも実際に呟いているわけではないので通じず、チキンな僕は部屋に撤退した。

まぁいいさ、明日出発する前の朝早く、ロビーでパソコンをすればいいさ。

案の定、翌朝も中国人たちはPCを占拠していた。

韓国人かな?
まぁどうでもいい。

三台あったPCの内二台は故障中の張り紙。

どんな使い方したのよ…あんたら

不安に思いつつも、ホテルを出発した。

情報は確実に大阪よりも少ないけれども、一応、降車駅、交通手段、地名などの最低限の情報を仕入れた。

あとはお巡りさんにでも聞けばなんとかなるさ。

うん、なんとかならなかったね。

お巡りさん、そこかしこにいるわけないし、お巡りさんも怖い人もいるしね。
なんかタイミング逃しちゃうと話しかけにくいよね。

もう、すっごく道に迷った。

迷った原因は、母と僕の意見の食い違い。

僕は行きと同じ交通手段を使うべきだと主張し、母は市バスにのりたいと言う。

どうやら歩き疲れて、とにかく乗り物に乗りたいようだった。

弟も疲れて少し不機嫌になっていたので、僕は母の意見に従った。

だが、停留所がいっこうに見つからない。

もう当初歩く予定だった距離の3、4倍は歩いている。

僕は歩きながら、もの凄く後悔していた。

ほら、やっぱり見知らぬ町で行き当りばったりに行動したらこういう結果になるんだ。

その時、正直僕は心の中で母を蔑んでいた。

口数も少なくなり、仏頂面をしていた。

でも、あの結果を招いたのはやっぱり僕なのだ。

あの時、一番その町の情報を握っていたのは僕だ。

なぜもっと強引に自分の意見に従うように、言えなかったのか。

それは僕も自信がなかったからだ。

偶然母の選択がその時間違っていただけで、僕が優れているわけでない。

僕は引率の役を任されていた。

それが母の意見に流され、結果的に母と弟を疲れさせてしまった。

相手の意見を聞くポーズを見せておいて、失敗を相手のせいにして、自分の責任を回避したかっただけなのだ。

自分の過ちを認める勇気がなかった。

賢く見られたかったから、家族との意思疎通がうまく図れなかったのだ。

今後僕が仕切ることがまたあったとしたら、もっと万全の準備をしてそのものごとに望みたいと思う。

追伸
なんか理屈っぽいことをだらだら書きましたが、旅行自体はとっても楽しかったです。