愛される恐怖

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diary

愛される恐怖ってあるよなーと漠然と考えた。

両親、特に母親と接していると特に思う。

僕なんかに投資しても、まったく見返りがある訳でもないのに、これまで僕に費やした金銭は何千万とあることだろう。

それだけの恩を受けた相手に対して悪感情を抱きようがないし、たまに抱いてしまうが、そうした場合倫理的にこちらが悪者だ。

愛すという行為は、その対象を無害化させる。

恋愛感情、友人関係においてもたまに恐怖を感じる。

例えば小学校の時、クラスの女の子が僕を好きでいてくれたが、まったく理解できなかった。

好きでいてもらえることは、とてもうれしく、満更でもないのだが、席替えの時は必ず隣りにくる(籤引きでも友達と交換してもらって、なんとか隣りの席を確保していたらしい)。

なにかと世話を焼いてくれる。

こちらの方を見る。

僕は僕自身を評価していないのに、その子の世界では僕はどんな存在だったのだろう。

その期待に沿えなかった時、彼女は落胆するのかな。

好きでいてもらえるからには、僕も相手のことを好きになりたい。

だけれど、互いに好きでいられるのは、本当に時偶しかなくて、その時偶でさえも勘違いのことが多くて。

こんなにも愛しているんだから私のことも愛してよと、見返りを期待していると勝手に思い込んで、萎縮してしまう。

愛するという行為になんらかの意義、理屈を求めている時点で僕は愛を理解していない。