公共の福祉

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人間というものはそれぞれ譲れない一線というものがあり、人と人が付き合う以上どこかしら折り合いをつけていかなければいけない。

お互いに気持ちよく暮すために、みんなが少しずつ、本当に少しずつ不愉快を共有しなくてはならない。

不愉快な思いを少数の人間に皺寄せした状態を苛めと言うのだと思うけれど、たしかに一時期は快適だろうけれども結果的には、以前の状態より悪い状態に陥いるだろう。

社会生活を営む上で、最低限の我慢をできない人はDQNといって、僕が一番嫌いなタイプだ。

一人がサボるせいで、他の人が無駄に苦労する。

一人がゴミを捨てるせいで、大勢の人が気分を害する。

一人が好き勝手するせいで、たくさんの人の幸せが損なわれる。

みんなそれぞれの利益を最大限に尊重するために、我慢すべきところがあることを理解できない輩は自重してもらいたい。

悪意に無自覚ならば、まだいい。

開き直っているのは始末が悪い。

善意で人の利益を損なう人はどうしようもない

人間というものは、なかなかに他人の気持ちを察する能力が低い面もあり、知らない内に迷惑をかけている時もある。

自分がいいことをしていると思っていても、他の人にとっては多大な迷惑である場合もあるだろう。

大事なのは誤ちに気付いた時に、いかにして迷惑をかけた人に謝り、同じ過ちを繰返さないようにするかどうかだ。

ご高説を垂れてきたけれども、ではお前はちゃんとしているのかと言われれば首を傾げざるをえない。

なので一番の望みは、迷惑をかけないよう、あるいは迷惑をかけられて邪魔されないように、ひきこもりたい。